Entries Tagged as '京都'

初詣

昨日5日は会社の仕事初めでした。サーバー管理の部署などは24時間365日動いていますが、一般部門は昨日からでした。
毎年仕事初めの日には初詣に行きます。昨年は八坂神社に、一昨年は伏見稲荷に行きました。
さて、今年は、嵐山の法輪寺に行ってきました。
ここは十三まいりで有名なお寺なのですが、初詣に行く人はほとんどいません。しかし、ここには電電宮という鎮守があって、じつはここが電気や電気通信の神様なのです。つまり、うちの会社の場合はここにお参りするしかありません。
今回は、本間取締役と坂上総務課長と一緒にお参りしました↓。

由緒書きはこんな感じです。

電電宮は、法輪寺の石段の途中にひっそりと佇んでいます。参拝者は、僕らのほかには明らかに電気とか電話の匂いのする人が2組ほどいるのみで、かなり静かにお参りすることができました。法輪寺から見る嵐山の風景もきれいでした。
ただ、ここには熊手とか絵馬とかも売っていませんし、おみくじもやっていません。そして、去年のものを返すところもありませんから、それだけが難点です。ここの本業はお寺なので仕方ありません。
ということで、帰り道にちょうど松尾大社があるので、そこにも参って、熊手と矢を買って帰りました。

ところで、電気と違って光の場合もこの神様でよいのだろうか?

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新年のお出かけ

明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりありがとうございました。本年もいろいろあると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

さて今年は2日、京都インターネット新聞でもお世話になった、戦国魂京町家本陣の初売りに行ってまいりました。
前から行ってみたかったのですがなかなか行けず、今回はじめて行くことができました。話には聞いていましたが、すごいことになっておりました(汗

で、ちゃっかり武者ぜんざいを御馳走になって来ました。炭火で焼いたお餅は美味しかったです。ごちそうさまでした!

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夜景

食事のあと六本木を歩いていると、ちょうどミッドタウンの横に月が出ていたので、写メに撮っておいた。
なんとなく、秋の月から冬の月になりつつあるような気がした。

京都に帰ってから京都駅に行くと、まだ11月も半ばだというのに、でかいクリスマスツリーが出現していた。東京にもツリーは乱立していたが、全国的に乱立しているようだ。僕が子供のころは、ツリーはせいぜい12月になってからだったような気がする。それでも、僕の両親などは、ツリーはイヴから出して1月に片付けるもんだと、他人ごとなのに世間に対して怒っていたのを思い出す。
ツリーが出ていると、なんでもいいけど、何か買わなきゃならないような気になってくるものだ。11月だからと言って、紅葉を飾ってしんみりするよりも、クリスマスツリーを持ち出して、派手に電飾をする方が売上も上がるのだろう。
しかし、それにしても、もう少し季節感を大切にしてもよいように思った。

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仏教オーバーイーサ

今日は、仕事の関係で高台寺圓徳院住職の後藤典生師のお話を聞く機会に恵まれた。しかも、2時間にもわたって、観光業界として、また、禅僧としてインターネットに対して何を期待しているのかというテーマを語っていただいた。


雨の中、高台寺の庫裡へ


高台寺のテーマは「夢と出会い」だという

今日はある記事のインタビューという名目で後藤住職を訪ねた。はじめ、住職は機械音痴なのでインターネットのことはまるでわからないと、インタビューにも戸惑っておられた。しかし、お話を聞くうちに、インターネットに対していかに大きな期待を寄せていただいているのか、逆に、我々は何と重い責任を負っているのかということを強く語っていただけた。

今までお寺は仏教を人々に伝えるために数々の試みを行ってきた。お経にして文字で伝えようとした。ラジオで伝えようという試みもあった。また、テレビで伝えようとした人もいた。当然、インターネットが普及した今、インターネットを使ってそれをやろうという試みもある。しかし、説話の動画をネットで流すとか、テレビでやっていたのと変わらないことしか、今はまだできていない。仏教をつたえるということは、長く厳しい修行を積んだ僧が、その中で得た体験を伝えることに他ならない。しかし、それが簡単に文字で伝えられようか。言葉にして伝えられようか。

例えば、今飲んだ熱いお茶の熱さを、言葉だけで伝えることなどできない。熱さは、触らせてみなければ伝わらないのである。ましてや、仏の悟りなどということが、言葉だけで簡単に伝えられようもない。後藤住職は、インターネットの力をすれば、いつか悟った人間の体験そのものを伝えられるようにならないか、ということを期待しているという。

もし、これができたとしたら、これは究極のコミュニケーションの完成だと言えるのではないだろうか。これは勿論なみにできることではない。しかし、本来インターネットが目指さなければならない到達点はそこにあって、今はまだまだ道半ばなのだということを教えられた。

仏教も勉強しなければならんなぁと思った一日であった。

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