仏教オーバーイーサ
今日は、仕事の関係で高台寺圓徳院住職の後藤典生師のお話を聞く機会に恵まれた。しかも、2時間にもわたって、観光業界として、また、禅僧としてインターネットに対して何を期待しているのかというテーマを語っていただいた。
今日はある記事のインタビューという名目で後藤住職を訪ねた。はじめ、住職は機械音痴なのでインターネットのことはまるでわからないと、インタビューにも戸惑っておられた。しかし、お話を聞くうちに、インターネットに対していかに大きな期待を寄せていただいているのか、逆に、我々は何と重い責任を負っているのかということを強く語っていただけた。
今までお寺は仏教を人々に伝えるために数々の試みを行ってきた。お経にして文字で伝えようとした。ラジオで伝えようという試みもあった。また、テレビで伝えようとした人もいた。当然、インターネットが普及した今、インターネットを使ってそれをやろうという試みもある。しかし、説話の動画をネットで流すとか、テレビでやっていたのと変わらないことしか、今はまだできていない。仏教をつたえるということは、長く厳しい修行を積んだ僧が、その中で得た体験を伝えることに他ならない。しかし、それが簡単に文字で伝えられようか。言葉にして伝えられようか。
例えば、今飲んだ熱いお茶の熱さを、言葉だけで伝えることなどできない。熱さは、触らせてみなければ伝わらないのである。ましてや、仏の悟りなどということが、言葉だけで簡単に伝えられようもない。後藤住職は、インターネットの力をすれば、いつか悟った人間の体験そのものを伝えられるようにならないか、ということを期待しているという。
もし、これができたとしたら、これは究極のコミュニケーションの完成だと言えるのではないだろうか。これは勿論なみにできることではない。しかし、本来インターネットが目指さなければならない到達点はそこにあって、今はまだまだ道半ばなのだということを教えられた。
仏教も勉強しなければならんなぁと思った一日であった。




高野山の住職は青山に出張カフェを出して皆様に仏教に親しんでいただいているらしいです(関係ない?)。
インターネットで同時に体感できれば凄いです。インターネットで食べ物を見たらお腹一杯になれる、とかがいいです。